【よとろぐストーリー1】好きな場所で好きなコトをして生きて行くまでを赤裸々に綴る

まずはじめに、
プロフィールでもも書いてます通り、今現在は家族でタイのチェンマイに住んでます。

 

ここに至るまで、色々な事がありました。

私たちの身に起きたことは、「好きな場所で好きなコトをして生きていく」ために全て必要な出来事だったと思ってます。
ネガティブな出来事も、全てひっくるめて今の自分たちがあると信じています。

 

2015年3月24日に書いた日記より抜粋

〜日々の生活は未来の自分たちの夢のために存在しているんだという事〜

最近、思うことがある

自称ガイドの家に招待されたとき

「旅してる時、こんなに笑ってたんだ」
記事を書くため、旅の写真を見返しては思う

旅のアウトプットは、かなり楽しい作業でもあり、旅に出たくなる苦しい作業でもある
今現在が幸せじゃない。とかそういう事じゃなくて、

自分たちが生き生き出来る場所は、世界のどこかなんだ
という事が確信に変わった時間だった

 

今現在は、プライベートもへったくれもないような、そんな生活をしてる
これは、自分でそうしてるだけの現実だ

もし、現実を変えたいと自分たちで思うのであれば、簡単に変えることも出来る
人生なんてそんなものだ

動くか、動かないかだ
変えるか、変えないかだ
決定権は、自分たちに委ねられている

なぜ変えないのか
答えは簡単
「今の現状を変えるつもりがないから」
これに尽きる

 

今の現実は今の現実で楽しんでる
「お客様との時間を」
これが「私たちの作りたかった現実」だから

未来は、現在の積み重ねだ
現在の積み重ねで、自分たちの望む未来が手に入る
そのために、今石を積んでるのだ

仕事が終わらなくて
朝日が差し掛かり、鳥たちがチュンチュン歌いだす頃、眠りに落ちる
眠ったと思ったら、もうけたたましくなり続ける目覚まし時計の音

携帯の目覚ましアラームの音を聞くと
「ああ、また1日が始まった」
と思う
そんな日々の繰り返しが、未来の私たちを作ると信じていた

過去はどうでもいい
現在
そして未来にしか私は興味ない
過去は変えられないけれども
未来は変えられる
自分の力で
そのことを知ってしまったから
日々、未来の自分たちの夢をかなえるためには今何が出来るか
自問自答し続ける

 

お店を始めて3年目に差し掛かった今
ようやく動き出せた
旅も好きだけど、仕事も好きなのだ

バランスを取るためには、どうしたら良いのか
ずっと考え続けてた
いっぱいいっぱいだったけれども
やっと未来のために動き出した第一歩

2015年3月24日
私たちは前に進む決断をした

20代の頃(現在アラフォー夫婦)、夫婦でニュージーランドにワーホリに行った。

オークランドの港町、デボンポートの海が見えるカフェでコーヒーを飲みながら決めた事がある。

よとろぐ
世界中のどこにいても仕事ができる自分達になる事。

「好きな場所で好きなコトをして生きる事。」
はその時からのテーマだった。

その頃から自然と「後悔しない人生を生きるためにはどうしたらいいか?」を常に考え続けていた。

 

2012年6月に世界一周の旅から帰国。

友人たちの協力のもと、トントン拍子に素敵な物件とも出会い9月に「リラクゼーションサロン」をオープン。
お店の経営も、人生でやりたい事リストの1つだった。

人に「旅から帰国してむサロンオープン?準備がいいね!」

などと言われたりしたが、準備が良い訳でもなんでもなく、ただただ運と人に恵まれてたのだ。

そして、多くの素敵なお客様に恵まれるサロンに。

経営はオープン初月から順調そのもの。
前職で様々なビジネス系のセミナーに参加する機会があった事と集客の勉強なども旅中からしていた事、そして先をゆく人の集まりなどにも積極的に参加していた。

もちろん営業中もセミナーなどには参加し続けていた。

幸いなことに、経営コンサルタントをしてる友人などもいたり、色々なアドバイスを頂けたりもした。
その甲斐があり、リピーター様の予約が半年先まで埋まるサロンになっていった。

その反面、「お客様優先」を貫きすぎたため無理のしすぎで私たちの体は少しずつ少しずつ蝕まれていったのだった。

順調な日々の中蝕まれていく体

2014年、TOMOの体調に異変が現れた。
最初は疲れすぎてるのかな?位に思ってたが、あまりにも頻繁に色々な痛みが体に出るように。

これはおかしいと病院に行くも、異常なしと言われる日々だった。

「痛みがあるのに異常なしはないでしょ?」と思いながらも、血液検査にも何の反応も出なかったため、医師による診断はなかなか下してもらえなかったのだった。

 

それから数ヶ月後、ようやく病名が判明した。

「回帰性リウマチ」と呼ばれる特殊なリウマチだった。

簡単に解説すると、関節のある所はどこでも症状が発症し、足に発症すると歩けなくなる。
手に発症すると痛みで手が動かせなくなる。

でも不思議なことに数日経つと、それが嘘だったかのようになくなる。

どこかの間接に症状が出ているときだけしかわからない病気。
だから、痛みが出ていない時に診断しても全く健康そのものという結果になるらしい。

 

痛みはなんとか薬で抑えていたものの、マッサージのセラピストとして働くことは困難になっていった。

前述の通り、サロンは予約で回ってたサロンのため、あらかじめ予約してくださってたお客様をキャンセルするわけにもいかず。

かなり頭を悩ませる事態に。

そして医師から告げられたのが、

「動かし過ぎると症状が出やすくなるから安静にしなさい。」という言葉だった。

 

私たちの経営していたサロンは、「ファン化」戦略での営業だった。
だからこそ、こんなに悩むことになってしまった。

ファン化戦略で営業していなければ、他のスタッフでも営業を続けられたからだ。
どの戦略にも、必ず光と闇は存在する。

病気が発症しなければ光だった戦略が、一気に瞬く間に闇に向かっていった。

 

そして、2015年3月24日。

悩みに悩み、お店を閉店する方向で考えていく決断をした。

それと同時にもう一つの決断をした。

忙しすぎる日々の中で、だんだんと薄れていった「好きな場所で好きなコトをして暮らす」と言う夢が蘇ったのだった。

「もう一度夢を見ないか?」という言葉と共に・・・

 

その2「一筋の光と共にアフィリエイトと格闘する日々」へ続く

ネパールの友人宅にて
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